恥日記 時々 猫

日々頑張るための雑記

愚痴は上手くなければいけない。

他人の不幸は蜜の味。

又は、

他人の幸福は飯がまずい。

 

よく聞く言葉だが、これは科学的に立証されており、人間は進化の過程でそうなったようだ。

 

 

僕はブログ村に参加しているのだが、日常系のランキングトップのブログを2つ読んでいる。その2つとも主婦のブログで、これまた不幸なブログなのだ。

 

1つは子持ち主婦のブログ。子供会の行事が大変だとか、ママ友付き合いがしんどいとか、夫が最悪だとか。病気が辛いとか。この人は不幸になるために生まれてきたのかってくらい文章から負のオーラが出ている。

 

もう1つはシニアの主婦の方だが、夫と不仲で貧乏な話。ほぼ夫の愚痴。たまに前向きな事を言うが、やはり暗い日記だ。

 

なぜ人気なのか。それは読者が人の不幸を見たいからだ。彼女たちのブログが更新されると、「どれどれ、今日はどんだけ不幸なのだ?」と開いてしまう。認めざるを得ない。僕は人の不幸を娯楽にする心の汚れた人間なのだ。

 

でも、ブログを読みながら思う。

 

彼女たちは不幸の語り方が上手い。

 

どんな不幸を書けばを読者が喜ぶかわかっているのだ。その昼ドラのような彼女達の日常は、僕にとっての非日常。なんだか癖になる。

 

そのブログ達がランキングトップであり続けるためには、彼女達が夫と仲良くなってはいけない。ママ友とうまく付き合ってはいけない。子供がスクールカースト上位であってはいけない。彼女達はそこのところをよく知っている。

 

そらそうだ。

順風満帆な金持ち家族、夫は社長、妻は才色兼備、子供は野球部のエース、庭付き戸建てで大型犬を飼っています。なんてブログはドラマも何も無い。面白いはずがない。自慢だけされても飯が不味くなる。

 

彼女達は不幸でもタダでは起きない感が逞しいよなぁ。

 

 

そう言えば、こないだ読んだ本にこんな風なことが書いてあった。

 

愚痴ってのは上手くないといけない。

 

人は誰かの不幸を喜ぶ生き物。そういう風に出来ている。自分の不幸や愚痴は、相手を幸福にさせているのだ。だが、愚痴も上手くなければいけない。ただ不幸をぐちぐち話していても暗いだけのつまらない話だ。相手を楽しませるように話してこそ愚痴だ。

 

僕自身も、こう思っている。

 

不幸話の中にはユーモアが無ければいけない。ブラックなやつでも良い。そうすれば相手は多少笑ってくれて、

 

「まあ、人生いろいろ、塞翁が馬さ。」

 

こう言ってくれる。

 

その言葉だけあれば、不幸もネタになったなと思える。

 

これからも不幸な笑い話で誰かを幸せにして、誰かの不幸話で笑おうと思う。

 

歪んでるかな。

 

以上